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探検!かき道(麓)

  • 2014-04-14 (月) 22:26

かき道1丁目

別のページにも書きましたがこの読み方、「そっちかい!?」と思いませんか。私も最初は「かきみち?」って思っていましたからね。・・・えっ?ちゃんと読めたって?あれっ。

かき道は、1丁目から6丁目まであり、昭和50年代から造成が始まった「矢上団地」が2丁目から6丁目、以前からある地域が1丁目と区分されています。

2丁目以降は以前は田畑だった山を切り開いて新たに作られておりますので、区画整理もきちんとされて住宅も比較的新しいものばかりで閑静な住宅地です。「矢上ニュータウン」といえばなんか古臭い感じがしますね。
一方1丁目は山の麓、昔ながらの大きな戸建、漁港、狭い通路という対照的な様相です。

八大龍王神社

そんな1丁目に入っていくと、左手に大きなムクノキが目印の神社、といっても建物はありませんが、八大龍王神社がおあします。

kakido1jinja

文献「2000年の東長崎(平成13年11月3日印刷発行、発行元:東長崎地区連合自治会)」によると、下記のように記されています。

八大龍王は西暦1719年、元八大龍王は西暦1743年に建立される。当時コレラ等の伝染病がはやり、死者が出た結果、防止と健康祈願のため創建されたと伝えられている。現在は小学生による相撲と祈願祭が行われる。境内には300年以上と思われるモクの木がそびえたっている。

約300年前に建立されていることになります。文献によると、境内にそびえる大きな木も、同様に300年もの樹齢を数えます。目の前で見ると結構大きいです。八大龍王様の2体のうち「元」と付くとそちらが元祖かと思いきや、「元」八大龍王の方が後に建てられているということあたりが興味をそそります。なお、八大龍王についてはよく存じておりませんので、詳しくはWikipediaをご参照ください。
相撲が行われているということですが、見たことはありません。いつの時期にやっているのでしょうかね。

地元では、何かのイベントの際には、必ずこちらでお参りをして出かけます。地元で大切にされている神様であります。

さらに深く

今回は、この八大龍王神社の裏山を探検してみることにします。

お邪魔します、と龍王様にお参りをしたのち、左側にある階段を上っていきます。

kakido1yama1

登り道は比較的整理されています。ガードも整備されており、子供でも安全に登ることができました。

kakido1yama2写真がボケていてすみません。

道の途中から撮ったかき道1丁目。

kakido1

かき道1丁目を見下ろしたところ。写真の奥にあるのは「矢上大橋」、平成24年3月までは100円の有料道路でしたが、現在は無料で通行できるようになりました。橋の右の方は東部下水処理場、長崎市中央卸売市場、目の前は八郎川です。

新参者にとっては想像もできませんが、この卸売市場一体、かつては遠浅の海水浴場だったとのことです。
名を「東望の浜海水浴場」といい、当時長崎県でも代表的な避暑地であったとのことですが、昭和30年代の後半頃から海水の汚染騒ぎや、白砂が波で流れて水が濁りやすくなってきたために、昭和41年に廃止され、その後埋め立て工事、昭和50年に長崎市中央卸売市場がオープンしたとのことです。そりゃー知るはずありません。私が生まれる前に埋め立てられたんですもの。

少し上ると、墓地に到着しました。

墓地で行き止まりか?いやいや道があるのでは?
と少し足を延ばしてみると、さらに奥に進む道を発見。

kakido1yama3

最初はうっすら道、という感じでしたが、入っていくと結構しっかりとした道が続きます。

kakido1yama4またボケててすみません。

道はどんどん下っていきます。

予想はしていましたが

単に山の麓に降りてまいりました。先ほどの八大龍王神社から少し北?にずれた辺りに出ます。

要するに各方面から地元の方たちが墓地に登れるよう、道が数か所あるということですね。

それにしても子供たちは元気に駆け降りていきます。
転ばないか親としては結構ドキドキです(;´Д`)

柿道遊園地記念碑

ちなみに近くの消防団の詰所の敷地内に「柿道遊園地記念碑」という石碑が立っています。「かき道」って今では平仮名ですが、「蛎道」と書いたり「柿道」と書いたりいろいろです。やっぱり海のミルクの「牡蠣」が語源だと勝手に思っているのですが、さてどうなんでしょう。

kakidoyuenchi(石碑の左側にあるモニュメントは何の跡だ??)

かき道の地名の由来ははっきりとした情報をつかむことはできませんでした。
ただし、今では矢上大橋が通ってて、戸石・牧島まではかき道を通らずとも行くことができますが、橋ができたのは先述した埋立が行われた後ですから、それ以前は、このかき道を通らないと戸石の方面には行くことができなかった、(昔からかどうかはよくわかりませんが)戸石の名産に牡蠣がある、と考えると、やはり牡蠣を運んできた道と考えるのが適当のようです。

また、再度登場しますが文献「2000年の東長崎」によると、

杉沢文庫によると天明の頃(1780年頃)間の瀬、正林家の祖は18反帆船、観音丸をもって、天草・薩摩方面に出かけ商を営んだ。間の瀬付近の農産物を蠣道の波止で積み込み、先方のものと取引されたという。

という記述があることから、天草・薩摩方面から牡蠣を仕入れてきたので、と考えられなくもないですが、こちらはちと無理やり感がありますかね。

文献でちらっと「東望の対岸に蠣道という所がある。略して柿戸と書き梅の名所である。」という記述があります。「略して柿戸」って、相当違うものになっているように思うのですが、私が古い言葉の意味を知らないだけなのでしょう|д゚)

ちなみに遊園地については、東望の浜海水浴場の対岸にあるこちらの蠣道では貸ボートなどを営んでいたようで、「遊園地」という名前言えども、時代が結構古いはずですので、観覧車やメリーゴーランドが回っているような感じではなく、「海の家」的なものだったのかなぁと勝手に想像しているところです。情報がなくすみません。

そんな鶯の声響く優雅な田舎に「マルタス クリエイティブ ラボラトリー」はありまーす。(^_-)-☆

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