映画「CODA(コーダ) あいのうた」
マルタスフリークの皆さんは、「コーダ」というものをご存知でしょうか。
あーそうそう、音楽の記号ですね。アルファベットのOに十字が重なってるヤツ。
Children Of Deaf Adults。
略してCODA。
両親とも耳が聞こえない親を持つ聞こえる子供のことを言います。
私は、両親も私も聞こえますので、コーダではありません。
もし、自分の両親が聞こえない人だったら、家では声で会話せずに、両親が手話を使うのだったら、手話から覚えたりするのでしょうか。私には簡単に想像できません。
実際には、保育園などに優先的に入れたりして、声での会話をする環境にも触れ慣れることができるとか聞きましたが、あんまり詳しくないので、このくらいで。
今回の本題は、1月21日から全国のTOHOシネマズで公開が始まった「CODA(コーダ)あいのうた」という映画の話題です。
映画の主人公ルビーは、聞こえない両親から生まれた健聴者(=コーダ)。聞えない両親と兄の通訳となり、家業を手伝っていました。
ある日、密かに憧れていた合唱クラブにクラスメイトから誘われて入部しました。すると、顧問の先生がその歌の才能に気づき、名門音楽大学の受験を勧められる。
しかし、ルビーの歌を聞くことができない両親は、娘の才能を信じられず猛反対。悩んだルビーは家業を助けることを決意するが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をする――。
というようなことが公式サイトに載ってます。実はまだ観ておりません。😅
私は数日前にテレビで宣伝していたのを見て、久しぶりに映画を観たいと思いました。
映画に出てくる両親と兄は、実際に聞こえない方たちが演じられているとのことです。
アメリカの手話は存じ上げませんが、予告映像見たら、なんだかわかるような気になるのは、日本の手話と結構似ているんでしょうかね。
劇中で実際にろう者が使うリアルで表現豊かな手話は、この映画の魅力のひとつだと思いますが、主人公の素晴らしい歌声もまた、この映画の魅力を引き立てていると思います。
歌唱力が劇中で存分に披露され、「うわ、すげーなー」と観客は感動する。しかし、両親は耳が聞こえないから、その歌声の素晴らしさが伝わらず、もどかしさを同時に覚えるわけです。
その素晴らしい歌声と、それを伝えることのできないこのもどかしさがパンチ力になって、その後の展開を引き立てていくのでしょう。たぶん😅
見てませんからね。
まあでもまだ見てないからこそ、書くことのできる文章ってあるでしょうからね、って思いながら本稿を書いた次第です💦
映画を見たあとにこの文書を見返すと、さて、私はどんな感想を抱くのでしょうか。楽しみです。
よーし、映画観に行くぞー!
それではまたノシ🙌