かき道の砲台跡を求めて
この周辺で史跡と言えば砲台跡、ということで、前回東望山砲台跡を探検しました。
砲台跡を調べる中で、砲台跡に関する新たな情報、「蠣道、牧島にも砲台を築き」という文献等の記述を発見したことから、今回はその中の一つ、かき道の砲台跡を探検してみることにします。
前回のエントリーの最後にも書きましたが、何てったって住民としては、とにかく近隣の史跡くらいはチェックしておかないとプライドが許しません。
実は以前かき道1丁目を探検した際、まだ未チェックの場所があるのです。
それは「琴平(こんぴら)神社」です。「こんぴら」といえば、長崎市内に金比羅山があるように「金比羅」という漢字が個人的に馴染むのですが、「琴平」という漢字は珍しい感じがします。個人的にですよ。「ことひら」と読むほうがしっくりします。あくまで個人的にですよ!
琴平神社は、かつては1丁目から山道を登ってアクセスしていたのですが、山の上に矢上団地が整備されている現在は、団地に隣接されているような形でおあします。
当然現在も1丁目から登る道があると思いますが、場所がよくわかりませんので、私は矢上団地の方から攻めてみることにします。(上からだったら何となく場所が分かる)
琴平神社へ向かう
こちらの長~~い階段を上ります。
写真をご覧いただければお分かりいただけるだろうか。なかなかの段数です。
この地域の子供たちは上の団地に学校がありますので、ここを登って通学します。私も何度も通る道ですので、運動不足解消にはもってこいのアスレチックコース?です。
かき道5丁目から橘湾を見下ろしたところです。ずいぶん高いところに来たなぁと感じます。
写真で信号と横断歩道になっているところには、2年ほど前までは有料道路だったために、赤い料金所がありましたが、現在ではすっかりなくなりました。
矢上団地に登り切った後は、かき道5丁目を通って琴平神社を目指します。
5丁目は、矢上団地の中でも最終期に分譲されたように記憶しています。「ウッディヒル矢上」として、良質な木造住宅モデル、電線が地中に埋め込まれていて電柱がないのが大きな特徴です。高級感漂う閑静な住宅地です。
そして琴平神社到着しました。
地元では「こんぴらさん祭り」として年に1度、確か五穀豊穣を祈願して、こちらの場所の清掃、そして食べ飲みをいたします。
初めて中を拝見しましたが、祠がある以外はちょっとした空地という感じです。砲台跡っぽさはありません。
この周辺に砲台跡があるのでしょうか。周りの斜面もチェックしてみましたが砲台跡っぽいところはありませんでした。
下ってみる
さて、探検はここからです。
先ほどの鳥居の横に下り道をチェック済みです。
こちらを降りてみます。砲台に関する何かしらの跡が見つかるかも知れません。
かろうじて道という感じでしょうか。まぁでも葉っぱに埋もれているだけで、石の階段もありますし、荒れているとまではないと思います。ところどころに石垣がありますが、これらは砲台の跡でしょうか。
そこまで時間もかからず下山。1丁目に到着しました。
なるほどここに出てくるのですねぇ。民家の裏手です。細い路地に抜けます。
砲台跡っぽい手掛かりは見つからず。
再度神社周辺を探索
すかさず同行した息子に「戻るぞ!」と今後の厳しいスケジュールを伝えます。
息子「工エエェェ(´д`)ェェエエ工!」すまねぇな、付き合ってくれ。
来た道を登ります。もう少し琴平神社の周辺を当たろうと。
鳥居の階段がない方面の写真。こちらには道がなくて行くことは無理でした。
境内をもう一度探索。
まさかこの広場・・・。
これ東望山で見た円形台座跡の形に似ているような気がする。
これはどうも後で再度文献を漁ってみる必要があるようです。
取りあえず後日調べることで今日は神社を後にしましたが、帰り道の途中でも林に入れそうなところがあったら入ってみていろいろ探検してみました。井戸?空気穴?を2か所ほど見つけました。
正直、昼間言えども、林の中ってそこそこ怖いデス!
文献の調査結果は後ほど掲載するとしまして、次回は3つ目の砲台跡、牧島の砲台跡を探検してみたいと思います。探検!砲台跡(3)へ続きます。
調査結果
文献「2000年の東長崎」を調べた結果、現在の台場跡について下記のとおり掲載されておりました。
蠣道:琴平(こんぴら)神社の基礎石使用
やっぱり琴平神社のスペースが砲台跡であったか。
それと祠の横にあった石は基礎石でありました!(写真撮っといてよかったあ)
この行き当たりばったり感やっぱり最高!(笑)