過去と現在の思いの違い

過去と現在の思いの違い

人の考え方というのは日々変わっていくもので、以前思っていたことから真反対の考え方や思いになることもあるかもしれません。

それは「一貫性がない」とか「筋が通ってない」と考える人もいるかもしれませんが、以前の考え方が悪いとかではなく、そういう考え方を持っていたから今がある、と考えれば、その当時の考え方も今の考え方も、両方尊重して良いんではないかと思います。

さて、ここに私が手話講習会に通っていたころのレポートを見つけました。

手話講習会、手話奉仕員養成カリキュラム基礎課程の「ソーシャルワーク概論」だったみたいです。

講習会では、たまに外部講師に来ていただき講義をするという時間があり、講義を受講した際は、次週までにレポートの提出が必須となっておりました。

手話に関する私のPCの中にある最古のデータがこれでしたので、今回はこれを読み解きながら、当時の考え方と今の考え方の違いや、その変化の過程などを考察してみたいと思います。

なお、あくまで個人の感想ですので、その辺はご理解のほどよろしくお願いします。

〇年11月16日(今から8年前)
私が手話サークルに入った理由は、「通訳者になるにはサークルに加入しなければならない」と言われたからです。今回の講義でも同じことを言われました。それからずっと「なぜサークル加入は義務的なのか」という疑問が付きまとっています。

このルールは、地域によって様々だと思います。私の地域では加入することになっているようです。

そうなんですよね・・・。
のちに手話サークルが、聴覚障害者の福祉向上にとって重要な役割を担っていることを知ることになりますが、当時は勝手ながら「サークル」っていう名前から「それが好きな人たちが集まるところ」という認識だったと思います。なので、「手話サークル」への加入はあくまで任意なんじゃないかなという思いは強かったです。

最初、自分なりに考えたのは、入門・基礎講座が終われば、次の講座に進まなければ、手話を学ぶ場がなくなる。手話を使う機会が途切れると、せっかく覚えた手話を忘れてしまう。そこでサークル活動がある、ということでした。

サークルは手話を学ぶ場である、という認識です。

サークルによって様々だと思うのですが、私の所属しているサークルでは、手話を学習するような例会は少ないと思います。
でもここで当時の私が「手話を学ぶ場」と言っているのは、サークルの学習会で手話を勉強するという意味ではなく、手話で会話をするというだけで、十分に学習であるというふうに捉えているようにも見えます。きっとそうです。

しかし、いざサークル学習会に行ってみると、手話に関係ない内容が多いことに驚きました。

サークル学習会に手話の勉強を求めてた〜!

いや~手話で会話をするだけでも、ものすごく勉強になりますよ!

今回の講義で、「手話サークルは、手話技術向上の場ではない」と説明を受けました。確かにその通りのようです。(お金を払ってまで、サークルに入る必要があるのだろうか。)

確かに技術向上の場ではないかもしれません。いや、会話をすれば技術向上に繋がります。ここで講師が言っているのは、サークルの学習会は、技術向上のための訓練ではない、という意味で言っているのでしょう。

また、「手話通訳者である前に社会活動家たれ」、つまり、手話を学ぶということは、ろうあ者が直面している生きにくさ、暮らしにくさや障壁を理解し、共に問題を考え、解決していくことであるということも学びました。それは手話サークルの目的とも一致します。それは理解できます。
しかしそれは、そうした志を持つ者が考えてくれればよく、すべての通訳者に義務として課すことなのかという疑問は残ります。

手話通訳をするならば、極端な話、手話と日本語の相互変換ができるスキルがあればいい、という考えでしょう。

手話通訳者(士)は、日本語と手話を相互変換することだけが役割ではありません。
その活動の目的は、聴覚障害者が社会のあらゆる場面で主体的に参加できること、と考えれば、場合によっては、通訳だけでなく、聞こえる人などに聴覚障害のことや歴史などについて説明をする役割もあると考えます。そのためにも手話通訳の技術だけでなく、障害者に関する法律を学習したり、社会情勢に関心を持つなど、常に技術や知識を研鑽するわけです。

また、国や社会などに対し制度整備などを、関係者や関係団体とともに取り組んでいくことも重要な役割です。手話サークルに加入している理由の一つとも言えますね。

(少し飛ばして)
サークルというのは、同じ志を持つ者同士が定期的に顔を合わせる場であるとともに、ろうあ者と触れ合う機会を与えてくれる場であるということです。これまで地方で手話通訳をしてきた先輩(講師)だからこそ言えるアドバイスが、「サークルや全通研への加入は必要」であるということなのだということが理解できました。

これまでの記述は、これを言うための溜めだったのかなぁ。

ここでいう「地方」というのは、「田舎」という意味ではなく、その地域で、という意味で、決してよそ者を受け付けないような「村社会」という意味ではありません。

手話通訳としてろうあ者と共に歩んでいくために、ろうあ者との信頼関係の構築は、必要不可欠な心構えであると思いました。
ソーシャルワークの概念は、今までの生活の中で個人の考えとしてぼんやりとしたものは持っていたつもりですが、改めてきちんと時間を設けて学習することによって、理解が深まりました。

なんか立派なことを書いているようですが、結果的にサークルに加入する意義は理解していたようです、私。

学びを進めていくと、考えはどんどんアップグレードされ、以前の気持ちには戻れなくなるものですが、こうして自分のレポートを見返してみると、当時の考えなどが思い出されます。今、その過程を学習している方がどう感じているか、私が今、その方たちにサークルのことをどう説明すればいいかなどのヒントになるような気もします。

今回は貴重な講義をいただき、ありがとうございました。(ふじまる)

とある先輩から「講義を受けた場合は、とにもかくにもお礼を言うことを忘れてはならない」という教えを受けてからは、アンケートなどを提出するときは、必ず記している一文です。どんなに満足のいかない、わかりにくい講義であったとしても、礼を尽くすことは大事であると。批判することと礼を尽くすことは相反することではないと。激しく同意です。

というわけで今日は終わりたいと思います。まじめな話は書きにくいなぁ。

それではまたノシ