コンテクスト

コンテクスト

2025/06/30

先日、とある研修会で出てきたことば「コンテクスト」。

「文脈」とも訳されるこのことば。あまり日常会話では使用しないかもしれませんが、コンピュータープログラミングをやっている私たちマルタスフリークにとっては、Windowsにおけるウィンドウのタイトルや位置などを取得したいときは、用意されているAPIでコンテキストという環境変数を参照するため、さほど珍しい言葉ではないかもしれません。

日本語のように言葉の裏にさまざまな情報が込められている、空気を読むような文化は、「高コンテクスト文化」と分類され、一方で、手話や英語のように額面通りに伝え、額面通りに受け取る言語は「低コンテクスト文化」と分類されるそうです。

例えば休日の朝、「今日は天気がいいねぉ~」と妻が言うと、高コンテクスト文化では、夫は「洗濯物は外で干してってことだな・・・」と捉え、低コンテクスト文化ではそこまで伝わらず、「洗濯をして、今日は外で干してくれ」をしっかり伝える必要があるという話です。

multas
刺さらん例えだなぁ。

さて、ここでひとつの物語をご紹介します。なお、この物語はフィクションです。


コンテクスト

玄関のドアが開き、足音の感覚から妻が仕事から帰ってきたのがわかった。

少し早めに帰宅し、自室にいた私は、朝、調子が悪くなったノートパソコンを分解、修理していた。

というのも出かける前、いつものように朝からパソコン作業をしていたところ、突然、液晶の一部分が表示されなくなったのだ。中古とはいえ最近購入したばかりのパソコンだったため、あまりのショックに、その日は落ち着かなかった。きっとただの接触不良ですぐに治るに違いない、とりあえず帰ったらすぐに分解して本体と液晶部分をつなぐケーブルを抜いて清掃しようと、昼間はそのことで頭がいっぱいだった。

「ねぇ、何かやってるの?」

リビングから妻の声が聞こえた。パソコンは背面カバーを開けた状態だ。液晶と本体を繋ぐケーブルは見た感じ綺麗で、特に不良には見えなかった。だが接続しなおしても症状は変わらなかった。液晶自体の不具合か、それとも液晶とケーブルの接続部分の不具合か。いずれにしてももっと分解して奥を確認する必要があった。

しかしそんなことをやっている暇はない。妻から問いが投げかけられているからだ。

「ねぇ、何かやっているの?」

この質問に対する単純な答えは「パソコンを分解・修理している」だ。
しかし、この答えをそのまま伝えるのはナンセンスだと、私の直感は訴えている。

通常、夕方のこのタイミングで行う家事は、洗濯物を取り込み、たたむ作業だ。ただし今日に限っては、私はその作業を行わず、パソコンの修理をしていた。若干後ろめたい気持ちはあったものの、1日の不穏な気持ちを解消するには、まずパソコンの不具合の確認をしたい。「今日は緊急事態だ」と言い聞かせ、洗濯物は後回しにしていた。

妻は、やることをやって、次の作業を行う、そういう性分だ。つまり妻にとって私が今やるべきは、パソコンの修理などではなく、洗濯物をたたむ作業なのである。

おそらく妻の「何をしているのか」という投げかけには、洗濯物をたたんでほしいんだけどできるか、という文脈(コンテクスト)を含んでいる。

仮に「パソコンを修理している」と単純に答えたとしよう。妻の性分からして、次に今やらないといけないことかと問われ、そしてやることをやってそれに取り組んでほしいと苦言を呈されるだろう。これまで何度もやり取りしてきた経験が導く予想だ。さすがに何度も同じことを言われるのは癪に障る。

では「ちょっとやることがあって」と答えたらどうか。この言葉には「洗濯物をたたむ作業をしなければいけないことは承知であるが」というコンテキストを含む。パソコンの修理は、自分にとっては気になってしょうがない急用ではある。嘘ではない。
しかし、その内容を聞かれ、パソコンの修理であると答えたら、「それは今やらないといけないことか」という次の問いに対して説得できる理由を持ち合わせていない。結局、「やることをやって、取り組んでほしい」と苦言を呈される結末は変わらないことになる。

そして、私の導き出した最適解は「何もしていない」だった。

パソコンの不具合は気になるが、妻の立場になって考えると、洗濯物をたたむという家事に比べれば、何かをしているというレベルではない、というニュアンスである。

さらに、この答えには「今から洗濯物をたたむ作業をやります」というコンテクストも含んでいる。もっと言えば、「私は家に帰ったら洗濯物をたたむというタスクを認識している」という思いも含まれているのだが、そこまで伝わってほしいというのは欲張りかもしれない。
答えると、案の定妻は、洗濯物をたたんでほしいという要求を次に出した。想定通りだ。

私は裏蓋が外れたノートパソコンを眺めた。ノートパソコンの液晶不具合というのは、素人で修理しようとするには、かなり難易度が高いといえる。
液晶は部品の中でも高額な方であるし、両面テープなどでしっかりと止められていることも多く、無理に分解しようとして縁のプラスチック部分を破損することもよくある。

そんなことを考えながら、とりあえず開けていたノートパソコンの底面のネジを留め、洗濯物をたたむためにリビングに向かった。

少し予感はしてた。

自分ではさほど時間が経っていないと思っているが、妻の性格的に言えば、「直ちに」ではなかったのだ。

すでに洗濯物はたたまれた後だった。不穏な予感しかしない。妻は明らかに不機嫌な顔をしている。

「何もしてなかったんでしょ」

妻の口調には怒りの感情が込められていた。
私は、ここは正直に言うべきかと思い、

「ちょっとパソコンの修理をしてて、後片付けをしてたので遅くなって」と口にした。

妻はこう答えた。

「何もしてないと言ったじゃない。嘘じゃん」

おいおいおいおいちょっと待て。
言いたいことが3つある。

まず、当初の依頼に「すぐに」という言葉は含まれていなかったではないか。
いや確かに妻の性格上、「今すぐに」というコンテクストが含まれていたかもしれない。が、コンテクストはときに曖昧である。明言されていない以上、怒られるほどのことではないはずである。

しかも、そもそも私は「洗濯物は帰ったらすぐにたたまないといけない」とはあまり思っていない。例外として、外干ししていた場合、夜になると気温が下がるため、せっかくの洗濯物が冷えたり湿気たりするので、早めに取り込むべきというのは理解できる。

しかし本日は部屋干しである。多少の作業の後だとしても何も問題なかろう、という認識が自分の中で優っていた。今考えると妻の「今すぐに」というコンテクストをあえて読まなかったとも言える。

ふたつ目は、夫に洗濯物の処理を頼んでおきながら、なぜ自分でしてしまっているのか、ということである。頼んだのだったら、全て任せればいいではないか。

そして最後にして最大の言いたいこと、それは嘘つき呼ばわりしたという点だ。

「妻からの依頼はすべて引き受けます」というコンテクストを含んだこの言葉を、まさか嘘だと言われるとは思ってもいなかった。

正直カチンと来た私は、妻に対して、

「いや、ウソではないよ。パソコンの修理をやってはいたけど、あなたにとっては大したことないことだから、なんかあったらするよ、っていう意味で言ったんだよ」

「いやでも、何かしてた訳でしょ。何もしてないのはウソじゃない。」

ああこれはダメだ、分かってくれない。
頭に血が上るのを自覚した私は、少々声を荒ぶりながら、自分の言い分を必死に伝えた。妻も一歩も引かない。

「何もしてない、ってのには、家に帰ってやらなければいけない家事に比べれば、大したことしてないというコンテクストを含んでいるんだよ」

言ったあとに思った。
あまりに文脈、コンテクストという言葉を頭で使っていたため、つい「コンテクスト」という単語を口に出してしまったのだ。自分でもなぜ言ってしまったのかわからなかった。

っていうか、これはややこしくなりそうな予感。

「またそうやってよくわからん英語を持ちだして!」

想定通り、妻は言い方に対して苦言を呈してきた。

「コンテクストというのは、「文脈」っていうカタカナ、日本語だよ」

私も必死で、間違っていないと思われる範囲内で言い返した。
後で引いてみたら、多分外来語ではないかと思う。

「いや日本語じゃないでしょ。そんな言葉聞いたことないし。訳のわからん言葉を出して。」

「日本語ってさ、言葉の背景にコンテクスト、文脈を含む文化じゃない。空気を読む、みたいなさ。あなたも『家に帰ったらまずやるべき家事をしてほしい』という意味を込めて洗濯物お願いしたんでしょう。」

説明しても無駄だった。

「もういつもあなたの言ってることはわからん!」

論点が「言い方」という点に完全にすり替わっていた。

私の中には、私に依頼したのに洗濯物が処理されている点や、嘘つき呼ばわりされた点が消化不良に陥っているのに、その前にこのコンテクストという単語の問題を解決しなければならないという手順が増えたのである。

結局お互い理解会えぬまま散り散りになり、その夜は口をきいてくれないレベルの喧嘩にまで発展してしまったのである。パソコンも壊れたまま。最悪の週末になってしまった。


話は以上です。

今回の場合、「コンテクスト」という単語について、私は言語にあまり詳しい方ではありませんが、カタカナ語、外来語という日本で使われることはある、という意味においては、日本語といってもさほど間違ってもいなさそうだが、英語と言われてもそうかもしれない。

つまり、この二人は別に間違っているわけでもなく、ただお互いが相手のコンテクスト、つまり言葉の裏側を読んで気持ちを受け止めていれば、こんなケンカには発展しなかったということだと思います。

また、言葉の裏というのは、はっきり言われていないという曖昧さから、気づいているのにあえて気づかなかったふりをするという、ある意味「ずる賢く使う」という危険性も孕んでいると思います。

皆さんも、話をするときは、相手の言ったこと、ではなく、何を言いたいのかを感じていただければと思います。

もちろんこの話はフィクションですよ!(笑)

それではまたノシ